無農薬を超えた自然栽培じゃがいも2種(十勝産)5kgをお取り寄せ!紫と黄の食べ比べ|シアノバクテリアを活かした土づくりで生命力たっぷり。ホクホク×ねっとりやみつきポテトをご自宅で
通常配送料に550円(税込)が加算されます。
内容量:5kg
原材料:シャドークィーン、ながさき黄金
45年の放棄地を起こした元自衛官の畑から届く「足さないじゃがいも」で、今までの基準を塗り替える。
十勝。広い空と風のまんなか、小さな畑から届くのは紫のシャドークイーンと黄系おまかせの2種。
塩と油だけで成立する濃さは、調味料の足し算をやめさせます。
ここに至るまでの背景は「旬が来たから始めた」なんて優しいものではありません。
31年の自衛官生活を終え、コロナ禍で食と医療の関係に違和感を抱いた一人の決断が、45年の工作放棄地を一年かけて畑に戻し、農薬・化学肥料に頼らない自然栽培へ舵を切らせました。
医療はビジネスと地続き。ならば食から立て直す。
彼が語る“違和感の正体”とは?
「コロナ以降、医療が持つビジネスの側面に気づきました。そもそも病気にならない体づくりが置き去りにされているのでは、と。ならば食から整えるのが自分の役割だと腹をくくったんです。
土をいじって分かったのは、土が整えば畑は循環するという手応えです。
いい土では、虫が“暴れない”。だから余計な介入を減らせる。シアノバクテリア、光合成細菌など自然由来の資材は使いますが、基本は“足さない”。
あと、僕の畑は倉庫を持ちません。
作りすぎず、その年のものはその年に売り切る。体が疲れない畑に仕上げると、台所でも少量で満ちるような味になる—そんな実感があります。」
私たちは病気になったとき、ごく自然に病院に行き、医師に診てもらい、薬を受け取ります。
それは長い間「正しい行動」とされてきました。
日本でもそうですが、アメリカは「医療大国」と呼ばれるほど、病院や薬が社会の中心に位置づけられてきました。
ところが、その裏側には、あまり語られてこなかった「闇」が存在していたのです。
アメリカでは長年、製薬会社がテレビCMを堂々と流し、人々に「薬を飲むことが当たり前」という価値観を植え付けてきました。
医師が処方しなくても市民が「この薬をください」と言える仕組みまで存在します。
結果、病気を「治す」よりも「薬を売り続ける」ことが優先される構造が生まれてしまい、膨大な医療費が国民を圧迫してきました。
実際、2022年のアメリカの医療費は4兆ドルを超え、国民1人あたりで日本の2倍以上とも言われています。
この「薬漬けの構造」に疑問を投げかける声は長く「陰謀論」とされてきました。
ワクチンや新薬に疑問を呈した人はこの日本社会でも、反ワクなどと揶揄され、SNSや、社会から排除されることも珍しくありませんでした。
しかし、ここ数年、その空気が変わり始めています。
象徴的なのが2024年に再び影響力を強めたトランプ政権の人事。
トランプは、ロバート・F・ケネディ・ジュニア(RFK Jr.)を米国保健福祉省(HHS)の長官に指名しました。
ケネディは弁護士として環境問題に取り組んできた一方で、ワクチンや製薬産業のあり方に強い疑念を持ち続けてきた人物です。
これまで「過激」とされてきた主張を、政権があえて公的ポストに据えたことは、アメリカ医療の歴史における大きな転換点でした。
食品医薬品局(FDA)の要職にも、これまでワクチン政策や規制の不透明さを批判してきた医師や研究者が起用されました。
たとえば外科医のマーティ・マカリー(Marty Makary)は、医療現場で「不要な手術や薬の過剰処方」が常態化していることを告発してきた人物です。疫学研究者のヴィナイ・プラサド(Vinay Prasad)も、エビデンスに基づかない医療介入がいかに多いかを論じてきました。
これまで批判の対象だった人々が、今や制度を内側から変える立場に立っているのです。
もちろん、この動きには反発もあります。
「科学を軽視している」という声はアメリカの学会からも多く上がりました。
でも、重要なのは、こうした議論がもはや「タブー」ではなくなってきているという事実です。
かつては口にすることすら許されなかった問いでした。
でもコロナ禍を経て、
「病気が減らないのは、制度がそう設計されているからではないか?」が、公然と議論されるようになったのです。
私たちがここから学べるのは、「医療の闇」とは決して陰謀や、フィクションではないということです。
病気を抱える女性が「薬を飲み続けても改善しない」と悩む現実、家族が、足繁く病院通いを続けても出口が見えない、入院して手術や投薬を受けても、むしろ寿命が縮まったという体験…
それらは錯覚ではなく、社会全体に組み込まれた構造的な問題かもしれません。
アメリカで起きている変化は、日本でもいずれ無関係ではいられないでしょう。
だからこそ「医療に丸投げし、任せる」のではなく「自分で選ぶ」こと。その視点を今、改めて持ちたいのです。
ここで、もうひとつアメリカの現状を補足したいと思います。
日本ではあまり報じられていませんが、アメリカでは近年「医療制度」「製薬業界」「ワクチン政策」をめぐる議論がかつてないほどオープンに語られるようになっています。
背景にあるのは、国民の信頼の低下でした。
米調査会社が2024年に実施した世論調査では、数十ある産業の中で製薬業界の評価は最下位クラスに沈みました。
かつては「命を救う産業」として尊敬を集めていたはずが、今や「利益追求が先行しすぎている」との印象が強まり、社会的評価が過去最低水準に落ち込んでいるのです。
処方薬の高価格も大きな火種です。
2025年春に行われたCSRxP(Campaign for Sustainable Rx Pricing)の調査では、有権者の大多数が「薬の値段が高いのはビッグファーマ(大手製薬会社)の利益追求が主因である」と答えています。
つまり「なぜこんなに高いのか」という疑問が、一部の声ではなく、国民的コンセンサスになりつつあるのです。
アメリカ独特の構造として「製薬会社による直接消費者向け広告(DTCA)」の存在があります。
テレビやネットで薬のCMが日常的に流れる風景は、日本の私たちから見れば少し、異様に映るかもしれません。
そんな広告に対しても近年批判が高まり、「高額な宣伝費が薬価に上乗せされ、結局は患者と納税者の負担を増やしている」との指摘が強まっています。
こうした不信の高まりと歩調を合わせるように、前述した通り、政治界でも闇を開示する動きが出てきていて、国民の意識も少しずつ変わりつつあります。
以前は「薬を飲み続けるのは仕方がない。専門家に言われたから。」と諦めに近い感覚だったものが、今では「そもそも薬漬けの構造自体を見直すべきだ」という方向へと議論が進み始めているのです。
情報公開や利益相反の開示制度も強化され、医師と製薬企業の関係を可視化する「サンシャイン法(Physician Payments Sunshine Act)」などが広く知られるようになってきました。きっと、この流れは、アメリカだけの話では終わらないでしょう。
日本でも、病院通いを続けても改善しない、薬を増やしても不安が消えないという声は少なくありません。
医療の“闇”が議論されるようになったアメリカの現実は、「医療に任せきりではなく、自ら選択する」という時代の到来を示しているのです。
45年動かなかった土を一年で呼吸させる
天地返し、刈草たい肥、雑草との共存。机上の理想を“現場の段取り”に落としたら味はどう変わるのか。
畑は45年の放棄地。
スコップが入らないほど硬く締まっていました。
天地返しをして地中の有機物を表へ、刈草をたい肥化し、過剰を足さない方針で、大変な労力をかけて、一年。
結果、“虫が暴れない”畑に変わりました。
敵ではなくバランスの指標として虫を見る。だから農薬で“ねじ伏せる”のではなく、土の設計でいなす。
ここで採れたじゃがいもは、えぐみが薄く、あと味が静か。
いのちの循環を呼び覚ます自然栽培と地球最古の菌、シアノバクテリアの共鳴
自然栽培とは、本来「なにもしない農法」ではありません。
むしろ、余計なものを削ぎ落とした果てに残る、いのちの循環を尊重する農のかたちです。
化学肥料も農薬も加えず、土がもともと持っている力を信じる。
虫が来ればそれを食べる虫が現れ、草が生えればやがて堆肥となって還っていく。
自然の摂理が重なり合い、畑そのものがひとつの生態系として調和する。人間はその流れを乱さず、ただ整える役に徹するだけです。
彼の畑が特徴的なのは、そこに“地球最古の菌”とも呼ばれるシアノバクテリアを取り入れていること。
約30億年前、まだ酸素すら存在しなかった時代に光合成を始め、私たちの呼吸の礎を築いた微生物。
海から大気へと生命を押し広げた原初の存在が、いま彼の土のなかで静かに息づいています。
シアノバクテリアが放つ光合成の力は、土壌をふかふかに保ち、作物の根に深い呼吸を与える。肥料ではなく、太古から連なる生命の記憶そのものが、彼のじゃがいもを育てているのです。
「畑にいると疲れない」と彼が語るのも、不思議ではありません。
人間の身体が覚えているはずの古層のリズムに、畑全体が調律されているからです。
少量で十分にからだが満たされる感覚。その根源には、シアノバクテリアが紡ぐいのちの循環が流れています。
自然栽培とシアノバクテリア。
この組み合わせは、私たちが地球の記憶と再びつながるための入り口なのかもしれません。
緑化・芽・しびれを感じたら捨てる
緑化や芽は厚めに除去。強い苦み・舌のしびれ・灼熱感を覚えたら食べないのがおすすめです。
保存は7〜10℃の冷暗所。
低温に置きっぱなしは、甘みは出ても仕上がりが落ちることがあるので、常温へ戻してから調理して。
塩だけで成立する夕食という贅沢。紫は香りの立ち上がり黄は粉のほどけ。足し算より「静かな引き算」が満足を連れてくる。
紫(シャドークイーン)は短めの下ゆでし、高温ローストで一気に香りが立ちます。
仕上げにオリーブオイルや、白バルサミコやレモンを少量。色と余韻が締まり、サラダも主菜の顔に。
黄系は蒸してマッシュに。IN YOU MARKETで販売されるようなミネラルたっぷりの塩と良質なグラスフェッド・バターまたはギーで、絶品に。
お米のような主食感に、化けます。
スープやカレーは後半投入で煮崩れを抑え、具としての存在感を保ってください。
数より濃さ、在庫より新鮮。倉庫を持たず「売り切りモデル」の哲学が、食べ比べの一皿で理解できる。
IN YOU MARKETでは2種セットを提案します。
理由はシンプル。“違い”を舌で掴む体験が、一番の食の教育だから。
紫の香りの立ち上がりと黄の粉質。
同じ畑、同じ思想でここまで違う。舌が理解した価値観は揺らぎにくいのです。
また、厳冬期は凍結が大敵なので、クール指定(プラス帯)でお届けします。受け取り後は7〜10℃の冷暗所へ。過度な低温は低温甘化で調理の色づきや風味の鈍りを招くことがあります。常温に戻してから火を入れる—それだけで仕上がりが変わります。
医療の話を避けて通らない理由
「食が最後に残る自己決定だから」
取材では、自然栽培のじゃがいもを語りながら、どうしても医療の話に火がつきました。
私にも長年の疑問があったからです。もちろん、この記事の主役はじゃがいもです。だからここで、論争をするつもりはありません。
ただ、彼のビジョン「人が自分で自分を守れるようになる」「本質的な食を広げる」これをまっすぐに伝えるには、この扉を開けておく必要があると感じました。
日本では、医療に対して「おかしい」と言いにくい空気があります。
言った瞬間に 「非科学的だ」「医者でもない素人が何を言う」とラベルを貼られるか、何かに洗脳された痛い人間、アホな人間だと切り捨てられるか…
けれど、いざ自分や家族が当事者になったとき、そう簡単に切り捨てられるのか?
選択は残酷なまでに具体的です。
言われた通りのコースに、ベルトコンベアのごとく乗るのか、検査・処方・施術の意味を徹底的に調べ自分の言葉で確認し直すのか。
私は身近なケースを通して、後者を決める上での情報精査の難しさや、逆に、価値も見てきました。
勉強にはそれなりに時間も必要で、簡単ではありません。
けれど、その時、すぐに誰もが自分の手でシンプルに変えられるものがあるとしたら、それは毎日の食材、食卓です。
彼が語ったのは、「食から目を覚ます」というごくシンプルなこと。
SNS上で、陰謀を暴くスリルではなく、体の声を取り戻すための、地味で確かな動きです。
農薬や化学肥料を使わないこと、土の循環を乱さないこと、光合成細菌のような自然由来の資材にとどめること。
畑で肥料を足さないと、作物は派手には太りません。
でも、あと味の静かな満足感が残る。
その感覚は、からだの“判断力”を少しずつ鍛え直します。
私も、医療全体を敵に回したいわけではなく、最新の救急医療などの偉大さを疑う余地はありません。
ただ、これまでの習慣に原因のある疾患や、慢性不調や未病の領域まで「薬で黙らせる」が常道になった時、何が体内で積み上がるのか…?本当にそれがベストな選択なのか。
教科書通りに決めつけず、食事、コスメ、考え方、生き方、今後の方針まで、再点検する余地もあってはいいのではないか。
その入口に、自然栽培の一皿を置いてみよう。それが今回の提案です。
じゃがいもは、言い訳のいらない食材。塩と油だけで、違いをごまかせません。
彼の畑の芋は、派手な香りではなく、食後感で語ります。量を詰め込まず、少量で満ちるあの感じ。
数時間たっても体温がストンと落ちない安定感。
栄養成分表より、生活のリズムに効く静かな力です。こういう“芯のある満足”は、結果的に間食の衝動や過食の波を穏やかにします。
だからこそ、医療の是非を論じる前に「毎日、何を入れているか」に戻る価値があるのです。
「食は最後に残る自己決定だ」ということ。
制度や広告、周囲の声がどうであれ、今日、ここで何を選ぶかはあなたの権利です。
今、体の声が聞こえにくくなっているなら、市販の安価な惣菜や、加工を重ねた味ではなく、一次の素材に戻ってみて欲しい。
彼の自然栽培のじゃがいもは、その原点復帰にちょうどいい入り口になります。私たちがやれるのは、そんな気づきを提供すること。
それが、彼のビジョンとIN YOU MARKETの願いが重なる点です。
ここから先の医療の話は、また別の機会にじっくり。
今回はまず、あなたのからだがわかる一皿を確かめてください。
「畑に立つとお腹が空かない」彼が語る波動調整という実践
彼は自然栽培に取り組む中で、「波動調整」と呼ぶ実践を畑や出荷の場に取り入れていると語ります。
作物を育てる過程や発送の前にその工程を行うそうです。結果として、畑にいると不思議とお腹が空かない、疲れにくいと感じることがあるといいます。
出荷の際も同じように調整を施し、食べる人が少しでも穏やかに過ごせるように願いを込めて送り出している、と話していました。
販売の場面でも「誰に届けたいのか」を明確に思い描いたとき、自然と相手から声がかかるようなことが起きたといいます。
面積を広げ、加工とカフェを併設し、十勝から「足さない料理」を観光資源にまで育てる計画。
彼の次の目標は規模拡大。
平均が35万坪という十勝で、機械も使いながら自然栽培をつらぬき、面積を増やす目標があるのだそう。
そして加工所や、小さなオーガニックカフェを畑に併設し冬に強いラインを育てる。
体験と加工で季節の谷を越える計画です。観光で十勝を訪れる人に、足さない料理の皿を出す。その日を見据えています。
そんな日を夢見つつ、あなたもこのジャガイモで色々な調理を施してみてください。オーブンの予熱を上げ、紫はロースト、黄は蒸してマッシュ。
塩と油で完成。
テーブルについて最初の一口を静かに噛んで、あなたなりの食べ方で、楽しんでみてはいかがでしょうか。
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内容量:5kg
原材料:シャドークィーン、ながさき黄金

45年の放棄地を起こした元自衛官の畑から届く「足さないじゃがいも」で、今までの基準を塗り替える。
十勝。広い空と風のまんなか、小さな畑から届くのは紫のシャドークイーンと黄系おまかせの2種。
塩と油だけで成立する濃さは、調味料の足し算をやめさせます。
ここに至るまでの背景は「旬が来たから始めた」なんて優しいものではありません。
31年の自衛官生活を終え、コロナ禍で食と医療の関係に違和感を抱いた一人の決断が、45年の工作放棄地を一年かけて畑に戻し、農薬・化学肥料に頼らない自然栽培へ舵を切らせました。
医療はビジネスと地続き。ならば食から立て直す。
彼が語る“違和感の正体”とは?
「コロナ以降、医療が持つビジネスの側面に気づきました。そもそも病気にならない体づくりが置き去りにされているのでは、と。ならば食から整えるのが自分の役割だと腹をくくったんです。
土をいじって分かったのは、土が整えば畑は循環するという手応えです。
いい土では、虫が“暴れない”。だから余計な介入を減らせる。シアノバクテリア、光合成細菌など自然由来の資材は使いますが、基本は“足さない”。
あと、僕の畑は倉庫を持ちません。
作りすぎず、その年のものはその年に売り切る。体が疲れない畑に仕上げると、台所でも少量で満ちるような味になる—そんな実感があります。」
私たちは病気になったとき、ごく自然に病院に行き、医師に診てもらい、薬を受け取ります。
それは長い間「正しい行動」とされてきました。
日本でもそうですが、アメリカは「医療大国」と呼ばれるほど、病院や薬が社会の中心に位置づけられてきました。
ところが、その裏側には、あまり語られてこなかった「闇」が存在していたのです。
アメリカでは長年、製薬会社がテレビCMを堂々と流し、人々に「薬を飲むことが当たり前」という価値観を植え付けてきました。
医師が処方しなくても市民が「この薬をください」と言える仕組みまで存在します。
結果、病気を「治す」よりも「薬を売り続ける」ことが優先される構造が生まれてしまい、膨大な医療費が国民を圧迫してきました。
実際、2022年のアメリカの医療費は4兆ドルを超え、国民1人あたりで日本の2倍以上とも言われています。
この「薬漬けの構造」に疑問を投げかける声は長く「陰謀論」とされてきました。
ワクチンや新薬に疑問を呈した人はこの日本社会でも、反ワクなどと揶揄され、SNSや、社会から排除されることも珍しくありませんでした。
しかし、ここ数年、その空気が変わり始めています。
象徴的なのが2024年に再び影響力を強めたトランプ政権の人事。
トランプは、ロバート・F・ケネディ・ジュニア(RFK Jr.)を米国保健福祉省(HHS)の長官に指名しました。
ケネディは弁護士として環境問題に取り組んできた一方で、ワクチンや製薬産業のあり方に強い疑念を持ち続けてきた人物です。
これまで「過激」とされてきた主張を、政権があえて公的ポストに据えたことは、アメリカ医療の歴史における大きな転換点でした。
食品医薬品局(FDA)の要職にも、これまでワクチン政策や規制の不透明さを批判してきた医師や研究者が起用されました。
たとえば外科医のマーティ・マカリー(Marty Makary)は、医療現場で「不要な手術や薬の過剰処方」が常態化していることを告発してきた人物です。疫学研究者のヴィナイ・プラサド(Vinay Prasad)も、エビデンスに基づかない医療介入がいかに多いかを論じてきました。
これまで批判の対象だった人々が、今や制度を内側から変える立場に立っているのです。
もちろん、この動きには反発もあります。
「科学を軽視している」という声はアメリカの学会からも多く上がりました。
でも、重要なのは、こうした議論がもはや「タブー」ではなくなってきているという事実です。
かつては口にすることすら許されなかった問いでした。
でもコロナ禍を経て、
「病気が減らないのは、制度がそう設計されているからではないか?」が、公然と議論されるようになったのです。
私たちがここから学べるのは、「医療の闇」とは決して陰謀や、フィクションではないということです。
病気を抱える女性が「薬を飲み続けても改善しない」と悩む現実、家族が、足繁く病院通いを続けても出口が見えない、入院して手術や投薬を受けても、むしろ寿命が縮まったという体験…
それらは錯覚ではなく、社会全体に組み込まれた構造的な問題かもしれません。
アメリカで起きている変化は、日本でもいずれ無関係ではいられないでしょう。
だからこそ「医療に丸投げし、任せる」のではなく「自分で選ぶ」こと。その視点を今、改めて持ちたいのです。
ここで、もうひとつアメリカの現状を補足したいと思います。
日本ではあまり報じられていませんが、アメリカでは近年「医療制度」「製薬業界」「ワクチン政策」をめぐる議論がかつてないほどオープンに語られるようになっています。
背景にあるのは、国民の信頼の低下でした。
米調査会社が2024年に実施した世論調査では、数十ある産業の中で製薬業界の評価は最下位クラスに沈みました。
かつては「命を救う産業」として尊敬を集めていたはずが、今や「利益追求が先行しすぎている」との印象が強まり、社会的評価が過去最低水準に落ち込んでいるのです。
処方薬の高価格も大きな火種です。
2025年春に行われたCSRxP(Campaign for Sustainable Rx Pricing)の調査では、有権者の大多数が「薬の値段が高いのはビッグファーマ(大手製薬会社)の利益追求が主因である」と答えています。
つまり「なぜこんなに高いのか」という疑問が、一部の声ではなく、国民的コンセンサスになりつつあるのです。
アメリカ独特の構造として「製薬会社による直接消費者向け広告(DTCA)」の存在があります。
テレビやネットで薬のCMが日常的に流れる風景は、日本の私たちから見れば少し、異様に映るかもしれません。
そんな広告に対しても近年批判が高まり、「高額な宣伝費が薬価に上乗せされ、結局は患者と納税者の負担を増やしている」との指摘が強まっています。
こうした不信の高まりと歩調を合わせるように、前述した通り、政治界でも闇を開示する動きが出てきていて、国民の意識も少しずつ変わりつつあります。
以前は「薬を飲み続けるのは仕方がない。専門家に言われたから。」と諦めに近い感覚だったものが、今では「そもそも薬漬けの構造自体を見直すべきだ」という方向へと議論が進み始めているのです。
情報公開や利益相反の開示制度も強化され、医師と製薬企業の関係を可視化する「サンシャイン法(Physician Payments Sunshine Act)」などが広く知られるようになってきました。きっと、この流れは、アメリカだけの話では終わらないでしょう。
日本でも、病院通いを続けても改善しない、薬を増やしても不安が消えないという声は少なくありません。
医療の“闇”が議論されるようになったアメリカの現実は、「医療に任せきりではなく、自ら選択する」という時代の到来を示しているのです。
45年動かなかった土を一年で呼吸させる
天地返し、刈草たい肥、雑草との共存。机上の理想を“現場の段取り”に落としたら味はどう変わるのか。
畑は45年の放棄地。
スコップが入らないほど硬く締まっていました。
天地返しをして地中の有機物を表へ、刈草をたい肥化し、過剰を足さない方針で、大変な労力をかけて、一年。
結果、“虫が暴れない”畑に変わりました。
敵ではなくバランスの指標として虫を見る。だから農薬で“ねじ伏せる”のではなく、土の設計でいなす。
ここで採れたじゃがいもは、えぐみが薄く、あと味が静か。
いのちの循環を呼び覚ます自然栽培と地球最古の菌、シアノバクテリアの共鳴
自然栽培とは、本来「なにもしない農法」ではありません。
むしろ、余計なものを削ぎ落とした果てに残る、いのちの循環を尊重する農のかたちです。
化学肥料も農薬も加えず、土がもともと持っている力を信じる。
虫が来ればそれを食べる虫が現れ、草が生えればやがて堆肥となって還っていく。
自然の摂理が重なり合い、畑そのものがひとつの生態系として調和する。人間はその流れを乱さず、ただ整える役に徹するだけです。
彼の畑が特徴的なのは、そこに“地球最古の菌”とも呼ばれるシアノバクテリアを取り入れていること。
約30億年前、まだ酸素すら存在しなかった時代に光合成を始め、私たちの呼吸の礎を築いた微生物。
海から大気へと生命を押し広げた原初の存在が、いま彼の土のなかで静かに息づいています。
シアノバクテリアが放つ光合成の力は、土壌をふかふかに保ち、作物の根に深い呼吸を与える。肥料ではなく、太古から連なる生命の記憶そのものが、彼のじゃがいもを育てているのです。
「畑にいると疲れない」と彼が語るのも、不思議ではありません。
人間の身体が覚えているはずの古層のリズムに、畑全体が調律されているからです。
少量で十分にからだが満たされる感覚。その根源には、シアノバクテリアが紡ぐいのちの循環が流れています。
自然栽培とシアノバクテリア。
この組み合わせは、私たちが地球の記憶と再びつながるための入り口なのかもしれません。
緑化・芽・しびれを感じたら捨てる
緑化や芽は厚めに除去。強い苦み・舌のしびれ・灼熱感を覚えたら食べないのがおすすめです。
保存は7〜10℃の冷暗所。
低温に置きっぱなしは、甘みは出ても仕上がりが落ちることがあるので、常温へ戻してから調理して。
塩だけで成立する夕食という贅沢。紫は香りの立ち上がり黄は粉のほどけ。足し算より「静かな引き算」が満足を連れてくる。
紫(シャドークイーン)は短めの下ゆでし、高温ローストで一気に香りが立ちます。
仕上げにオリーブオイルや、白バルサミコやレモンを少量。色と余韻が締まり、サラダも主菜の顔に。
黄系は蒸してマッシュに。IN YOU MARKETで販売されるようなミネラルたっぷりの塩と良質なグラスフェッド・バターまたはギーで、絶品に。
お米のような主食感に、化けます。
スープやカレーは後半投入で煮崩れを抑え、具としての存在感を保ってください。
数より濃さ、在庫より新鮮。倉庫を持たず「売り切りモデル」の哲学が、食べ比べの一皿で理解できる。
IN YOU MARKETでは2種セットを提案します。
理由はシンプル。“違い”を舌で掴む体験が、一番の食の教育だから。
紫の香りの立ち上がりと黄の粉質。
同じ畑、同じ思想でここまで違う。舌が理解した価値観は揺らぎにくいのです。
また、厳冬期は凍結が大敵なので、クール指定(プラス帯)でお届けします。受け取り後は7〜10℃の冷暗所へ。過度な低温は低温甘化で調理の色づきや風味の鈍りを招くことがあります。常温に戻してから火を入れる—それだけで仕上がりが変わります。
医療の話を避けて通らない理由
「食が最後に残る自己決定だから」
取材では、自然栽培のじゃがいもを語りながら、どうしても医療の話に火がつきました。
私にも長年の疑問があったからです。もちろん、この記事の主役はじゃがいもです。だからここで、論争をするつもりはありません。
ただ、彼のビジョン「人が自分で自分を守れるようになる」「本質的な食を広げる」これをまっすぐに伝えるには、この扉を開けておく必要があると感じました。
日本では、医療に対して「おかしい」と言いにくい空気があります。
言った瞬間に 「非科学的だ」「医者でもない素人が何を言う」とラベルを貼られるか、何かに洗脳された痛い人間、アホな人間だと切り捨てられるか…
けれど、いざ自分や家族が当事者になったとき、そう簡単に切り捨てられるのか?
選択は残酷なまでに具体的です。
言われた通りのコースに、ベルトコンベアのごとく乗るのか、検査・処方・施術の意味を徹底的に調べ自分の言葉で確認し直すのか。
私は身近なケースを通して、後者を決める上での情報精査の難しさや、逆に、価値も見てきました。
勉強にはそれなりに時間も必要で、簡単ではありません。
けれど、その時、すぐに誰もが自分の手でシンプルに変えられるものがあるとしたら、それは毎日の食材、食卓です。
彼が語ったのは、「食から目を覚ます」というごくシンプルなこと。
SNS上で、陰謀を暴くスリルではなく、体の声を取り戻すための、地味で確かな動きです。
農薬や化学肥料を使わないこと、土の循環を乱さないこと、光合成細菌のような自然由来の資材にとどめること。
畑で肥料を足さないと、作物は派手には太りません。
でも、あと味の静かな満足感が残る。
その感覚は、からだの“判断力”を少しずつ鍛え直します。
私も、医療全体を敵に回したいわけではなく、最新の救急医療などの偉大さを疑う余地はありません。
ただ、これまでの習慣に原因のある疾患や、慢性不調や未病の領域まで「薬で黙らせる」が常道になった時、何が体内で積み上がるのか…?本当にそれがベストな選択なのか。
教科書通りに決めつけず、食事、コスメ、考え方、生き方、今後の方針まで、再点検する余地もあってはいいのではないか。
その入口に、自然栽培の一皿を置いてみよう。それが今回の提案です。
じゃがいもは、言い訳のいらない食材。塩と油だけで、違いをごまかせません。
彼の畑の芋は、派手な香りではなく、食後感で語ります。量を詰め込まず、少量で満ちるあの感じ。
数時間たっても体温がストンと落ちない安定感。
栄養成分表より、生活のリズムに効く静かな力です。こういう“芯のある満足”は、結果的に間食の衝動や過食の波を穏やかにします。
だからこそ、医療の是非を論じる前に「毎日、何を入れているか」に戻る価値があるのです。
「食は最後に残る自己決定だ」ということ。
制度や広告、周囲の声がどうであれ、今日、ここで何を選ぶかはあなたの権利です。
今、体の声が聞こえにくくなっているなら、市販の安価な惣菜や、加工を重ねた味ではなく、一次の素材に戻ってみて欲しい。
彼の自然栽培のじゃがいもは、その原点復帰にちょうどいい入り口になります。私たちがやれるのは、そんな気づきを提供すること。
それが、彼のビジョンとIN YOU MARKETの願いが重なる点です。
ここから先の医療の話は、また別の機会にじっくり。
今回はまず、あなたのからだがわかる一皿を確かめてください。
「畑に立つとお腹が空かない」彼が語る波動調整という実践
彼は自然栽培に取り組む中で、「波動調整」と呼ぶ実践を畑や出荷の場に取り入れていると語ります。
作物を育てる過程や発送の前にその工程を行うそうです。結果として、畑にいると不思議とお腹が空かない、疲れにくいと感じることがあるといいます。
出荷の際も同じように調整を施し、食べる人が少しでも穏やかに過ごせるように願いを込めて送り出している、と話していました。
販売の場面でも「誰に届けたいのか」を明確に思い描いたとき、自然と相手から声がかかるようなことが起きたといいます。
面積を広げ、加工とカフェを併設し、十勝から「足さない料理」を観光資源にまで育てる計画。
彼の次の目標は規模拡大。
平均が35万坪という十勝で、機械も使いながら自然栽培をつらぬき、面積を増やす目標があるのだそう。
そして加工所や、小さなオーガニックカフェを畑に併設し冬に強いラインを育てる。
体験と加工で季節の谷を越える計画です。観光で十勝を訪れる人に、足さない料理の皿を出す。その日を見据えています。
そんな日を夢見つつ、あなたもこのジャガイモで色々な調理を施してみてください。オーブンの予熱を上げ、紫はロースト、黄は蒸してマッシュ。
塩と油で完成。
テーブルについて最初の一口を静かに噛んで、あなたなりの食べ方で、楽しんでみてはいかがでしょうか。

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